令和2年度康楽賞の贈与について

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 令和2年度の康楽賞受賞者(教員12名、学生48名(うち学術研究関係24名、奨学生24名))が決定し、公益財団法人康楽会より、賞状及び賞金・奨学金が贈られました。

 康楽賞は、公益財団法人康楽会より、本学の教員でその研究に成果のあった者及び本学の学生で学業成績が優秀である者に贈られるもので、昭和26年に創設され、今回で70回目です。

 毎年、康楽賞贈与式を開催し、公益財団法人康楽会三木理事長から賞状、賞金及び奨学金が受賞者一人一人に授与されておりましたが、今年度は新型コロナウイルス感染拡大防止のため、贈与式は開催中止となりました。

 以下に、三木理事長式辞当学学長謝辞、及び受賞者代表謝辞を掲載します。

 

【三木理事長式辞】

 公益財団法人 康楽会 理事長の三木緑でございます。
 三木家は、初代から数えて私が15代目の当主となり、1674年(延宝2年)に阿波藍の事業を礎として創業された三木與吉郎商店から、化学品専門商社である三木産業株式会社として現在に至るまで、347年にわたり継承されてまいりました。
 康楽会におきましても、創立以来、代々培われてきた理念や精神を受け継ぎ、学術振興の一助となるよう、永続的な発展を目指して行く所存でございます。
 さて、このたび、令和2年度康楽賞を受賞された皆様におかれましては、心よりのお祝いを申し上げます。
 これもひとえに、皆様のたゆまぬ努力と研鑽の賜物と存じます。
 康楽会は、私の祖父、第13世三木與吉郎により、優秀な学生を支援する育英事業として昭和15年に創立され、今年で81周年を迎えました。
 昭和26年からは、徳島大学の教員、並びに学生諸氏の優秀な研究、成績を表彰するとともに、学業成績、及びその人物が優秀な学生に対し奨学金を支給してまいりましたが、このたびの表彰にて70回目を迎えることができましたことは、私にとりましても、大きな喜びでございます。
 昨今の新型コロナウイルス感染拡大の影響により、皆様の研究及び学業を取り巻く状況は非常に厳しいものであったと拝察いたしますが、その苦難を乗り越え、優秀な研究、成績を収められたことは、今後の人生の大きな糧になるであろうことを信じて止みません。
 今まで康楽賞を受賞された諸先輩方同様、皆様ひとりひとりにおかれましても、このたびの受賞を礎とし、より一層ご活躍されますことを大いに期待しております。
 最後に、貴学の今後ますますのご発展と、受賞者の皆様のご健勝を心から祈念いたしまして、私のお祝いの言葉といたします。

令和3年2月9日
公益財団法人康楽会 理事長 三木 緑
 
 
【学長謝辞】

 令和2年度 康楽賞受賞の皆さま、おめでとうございます。
 今年度は新型コロナウイルス感染症の影響により、残念ながら贈与式は中止となりましたが、例年のとおり研究に成果のあった教員及び学業成績が優秀な学生へ康楽賞が贈与され、各受賞者へ賞状、賞金、奨学金が授与されました。公益財団法人康楽会からの永年にわたる本学の教育・学術の振興に対して賜りましたひとかたならぬご支援に感謝申し上げます。
 さて、康楽会は育英事業を目的として第13世 三木與吉郎 眞治様が1940年(昭和15年)3月に創設したものです。戦後の1951年(昭和26年)には、従来の奨学金の無償供与に加え、新たに「康楽賞」を設けて、徳島大学の教員、学生に授与して学術振興に寄与してこられました。今回で70回目を迎える伝統ある賞であります。本年度の受賞件数は、学術研究関係36件、奨学生関係24件、計60件であり、これまでの受賞件数は、4,880件を数え、その額も約2億3,530万円という巨額に達しております。毎年の授賞式は徳島新聞に大きく報道され、県教育界に多くの反響を呼んでいます。
 これらの選考は非常に厳しいため、受賞者は高く評価され、その研究成果は論文集にまとめられて文部科学省はじめ関係各方面に送られています。それだけに、この制度の教育界に及ぼす有意義性について他県からも大きな関心が寄せられています。康楽賞が本学の教育・研究に多大なるご貢献をいただいていることは言うまでもありません。
 ここで、簡単に、三木家について、ご紹介させていただきます。公益財団法人康楽会理事長の三木 緑 様は、三木家の第15代目になられます。また、三木産業株式会社の代表取締役社長でいらっしゃいます。この会社の創業は、江戸時代の初期1674年になり、347年の歴史があります。1580年頃に、現在の兵庫県の三木城の城主が、豊臣秀吉との戦いに敗れて、阿波・松茂の中喜来浦に逃れてこられたのが、三木家第一世の與吉郎様です。その後、阿波藍の取り扱いを始められます。三木家第8世與吉郎 政治様が江戸に展開され現在の三木産業の基礎を作られます。
 しかし、明治時代になると藍は、安いインド産の藍に押され、合成染料インディゴが開発されて、衰退の時期を迎えますが、逆に、合成染料などの輸入によりその危機をしのぎます。さらに1914年から第1次世界大戦が始まるのです。戦争のため、ドイツからの輸入ができなくなったので、国内での染料の生産が奨励されます。その時に、大量の工業薬品を消費することに着目して、三木商店は、工業薬品の販売をされます。
 1940年に第13世の與吉郎 眞治様が、康楽会を設立されます。しかし、社会は第2次世界大戦へと進みます。戦後、荒廃と混乱の中から会社の再興を成し遂げ、戦後すぐに、業績を回復されます。そして、戦後、6年目にして、1951年に康楽賞が設立され、そして現在まで続いているのです。第13世の與吉郎 眞治様は、徳島大学の活性化こそが、徳島を元気にするために必要であり、それが日本の発展、世界の発展につながるとのお考えであったと思いますので、皆様には、ぜひ、それを実現していただきたいと存じます。また、藍の資料館である三木文庫を1954年、創業280年を記念して、設置しておられ、3万5千点の資料が展示されています。阿波藍の歴史を調べるには欠かせない資料になっています。
 
 康楽賞は、これまで数多くの研究者や学生が受賞しており、ノーベル賞を受賞した中村修二氏も昭和51年度に受賞しております。私も、受賞者の一人です。受賞者の皆様にはこのたびの受賞に心から祝意を表しますとともに、これを励みとして、これまでの受賞者同様、康楽会はじめ社会からの期待に添う活躍ができるよう、さらに研鑽を積んでいただきたいと思います。
 
 三木理事長様のご健康とご活躍、ならびに康楽会のますますのご発展を祈念いたしまして、御礼の言葉といたします。
 
令和3年2月9日
徳島大学 学長 野地 澄晴
 
 
【受賞者代表謝辞】
 
 令和2年度康楽賞を受賞いたしました一同を代表し、御礼を申し上げます。
 私どもはこれまで、それぞれが専門とする学術分野において、日々研鑚を積んでまいりました。その努力と研究成果が認められ、この栄えある賞をいただくことができましたことは、感謝の念に堪えません。
 康楽賞は今年度で70回目を数える、長い歴史と伝統のある賞であり、過去に受賞された諸先輩方の多くは、各方面の第一線で活躍し、大きな影響力を持つ業績を残してこられました。今、その列にこうして加えていただいたことに身を引き締めつつ、受賞の喜びを噛みしめております。
 私は、創薬、並びに機能性素材としての天然資源の可能性に興味を抱き、生薬・天然物化学を基盤とした機能性天然物の探索とその応用に関する研究を学生時代より続けてまいりました。また、徳島大学に教員として着任後は、民族伝統薬物に注目し、それらのフィールド調査研究にもとづく、機能性天然物探索と、その応用研究を推進してきました。本研究においては、同僚、研究室スタッフのみならず、海外の学術協定校を含む、共同研究者の協力により、種々の機能性天然物を見出すことができただけでなく、商品化につながる成果も得ることができました。しかし、その研究対象となる可能性のある素材はまだまだ多く、今後も海外の共同研究者とともに研究を推進する必要があると考えております。
 また、今回の受賞についても、これまで共に研究を行ってきた同僚・スタッフの力だけでなく、関係各位のご協力、ご支援があって初めて成しえることができたことであり、この場をお借りして、厚く御礼を申し上げます。
 加えて、私どもの康楽賞受賞が、同じく粉骨砕身して研究に取り組んでおられる多くの学生、教員にとっての大きな励みになるものと信じております。
 私ども一同は、この度の受賞の趣旨をよく理解し、この栄誉を励みとし、今後も立ち止まることなくなお一層の努力を重ね、引き続き精進して参りたいと存じます。
 康楽会 三木理事長、野地学長をはじめ、関係者各位におかれましては、今後とも、ご指導、ご鞭撻をいただきたく、よろしくお願い申し上げます。
 この度は、誠にありがとうございました。
 
令和3年2月9日
大学院医歯薬学研究部 教授 柏田 良樹
 
 

 

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