最先端研究探訪(とくtalk192号)

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生物の環境適応性を脂質多様性から紐解き、配列変異を導入した非天然脂質の研究に発展

環境適応の鍵である脂質に着目

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「膜を作るリン脂質にも種類がたくさんあり、 個々の脂質はいろ
いろな役割と機能を果たしています。それぞれ脂質の個性を見出す
ことを目的にこれまで研究してきました」という松木先生。

 深海や高山、塩湖や温泉など様々な環境下に生物が生息する謎を、系統的な脂質研究によって解明しようと取り組む松木先生。
 「人間の体内には約37兆個の細胞があり、高山へ行けば低圧、低酸素、深海では高圧、低温といったように、細胞すべてが環境変化の影響を受けます。
 細胞を構成する4大生体分子(核酸、蛋白質、糖質、脂質)それぞれに熱を加えると、核酸は壊れ、蛋白質や糖質は固まり、脂質は固まっているものは溶けてしまいます。この中でどれが一番、環境に適応しやすい分子なのか、実は我々が生活に利用している0〜100℃くらいの温度の範囲ではよくわかりません。
 しかし圧力をかけると、キレイに相関が見えてきます。核酸は1万気圧でもほとんど壊れません。それに対し、蛋白質は5千気圧、糖質は大体3千気圧で変化が起こりますが、脂質は1千気圧以下の低い圧力でも変化します。
 また生体分子の構成単位数に着目すると、脂質は核酸(5種類)や蛋白質(20種類)などに比べるとかなりの数があって、人の体内だと赤血球で600、体の中で3千、いろいろ細かいものを合わせると2万くらいもあります。これは、脂質多様性と呼ばれています。
 このように脂質は、たくさんの種類があって、少しの温度差や気圧の変化に応じて最も早く変容する性質を持っています。この性質こそが生物の環境適応性を解く鍵と考え、脂質に着目した研究を始めました」。

 

生体膜脂質は個々の個性を発揮して機能する

 脂質は疎水性相互作用という弱い結合で集まった集合体です。この特性により、細胞膜などの膜を作ることができます。
 細胞膜は分子が互い違いに向かい合って、2次元の絨毯のように平面上に広がっています。これを脂質二重膜といい、脂質の種類は際限なくあることから、機能に合わせて構造化しています。
 脂質の中でも膜を作っているのは、リン脂質という脂質で、リン脂質は疎水基と親水基の両方を持ち、頭(極性頭部)に疎水鎖という足が2本ついているような構造をしています。足が2本あることで二重膜小胞というドーナツ状の輪を作り、内側が水、外側が水という膜の構造を作ることができます。
 こうした二重膜構造体は人工的に作ることができるので、それが環境にどのように応答するのか実験により調べれば、脂質の環境適応性を評価できます。
 脂質は数℃くらいの狭い温度変化で、ある状態からある状態へと一気に変わります。
 さらに500気圧、千気圧と圧力をかけていくと、互い違いに向き合った状態で形成されていた膜が入れ子構造のようになるものもあります。
 温度と圧力の双方で測定した状態変化のデータを、ある脂質膜が取りうる状態(すなわち環境適応性)として図にしたものが図1です。

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図1 脂質が温度と圧力に依存して示す状態を示した膜状態図。 基準脂質であるDPPCの状態図を規定できたことで研究が一気に発展し、生体膜脂質の環境適応性に関する多くの情報を得るこ とができました。

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 松木先生は膨大な種類の脂質を研究するためには、まず基準となる脂質を決める必要があると考え、対象となる標準的な脂質の選定を試みます。
 「生体内の脂質の疎水鎖の長さは14〜20くらいが90%。その中で16と18が4〜5割くらいなので、疎水鎖16のパルミチン酸、極性頭部は真核生物においてはコリンが主体であるという事実から、ジパルミトイルホスファチジルコリン(以下DPPC)を基準脂質とした研究の成果を、先代の金品昌志教授と共に1992年に『DPPC二重膜の膜状態の報告』として発表しました。
 しかし残念なことに、同じ内容の研究が1986年に既に報告されていました。
 それから10年以上を費やし、より精密な実験を重ね、2005年に『DPPC二重膜の全膜状態の規定』を発表し、研究の根幹となった脂質の膜状態を完全決定し、当時の雪辱を果たしました」

 

新たなテーマは配列変異を導入した非天然脂質

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図2 脂質分子のモジュール構造に配列変異を導入した非天然脂質の一例:リン酸と極性基の配列順序を
入れ替えた極性頭部転置型脂質。生物の環境適応性に脂質多様性がどう関係しているのか、その解明に
新たな視点からチャレンジしていきます。

 基準脂質をDPPCと決めたことで、研究は加速度的に動き出します。脂質分子の官能基部分(モジュール)である疎水鎖の長さを短くする、長くする、疎水鎖の結合様式を変える、極性頭部を大きくする、小さくするなど、モジュールの構造を様々に組み替えたパターンで圧力や温度を変えてデータを収集。膨大な研究データを集積し、状態図にして比較することで、どれがどういった環境変化に適応するのか分かるようになりました。
 この長年にわたる研究は、2019年度日本熱測定学会 学会賞(リン脂質二重膜相転移の熱力学的研究)、2020年度日本高圧力学会 学会賞(高圧力下におけるリン脂質二重膜相転移の研究)の受賞に繋がり、昨年度は徳島県科学技術大賞(生体膜脂質が形成する二重膜の膜状態に関する研究成果)も受賞しました。
 数多くの卒業生・修了生のこれまでの貢献に感謝しながら受賞を喜びつつ、今は新たな研究に取りかかっているという松木先生。
 「脂質分子のモジュール構造の配列様式は、微生物から人間に至るまで、全部同じです。これは一体どうしてなのか?
 これまで我々は天然脂質の範囲で、足の長さを変えたり、頭を大きくしたりなどの研究を行ってきました。モジュールの順序を変えたり、天然にはない結合様式にしてみたり、疎水基をなくしたり・・・そうなった時に膜の状態がどう変わるか。これまで蓄積したデータと照らし合わせることで、『なぜ、脂質はこのような構造をとるのか』という答えが出るのではないかと考えています」。
 モジュール配列変異を導入した非天然脂質の環境依存性について研究することで、思いも寄らない他の用途が見つかるかもしれません。

 

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実はこの研究室が『とくtalk』に登場するのは2007年冬号以来、16年ぶり。その時は先代の金品昌志先生の「高圧力の下で、生物がどのような影響を受けているか」という研究が紹介されました。松木先生は「当時から高圧力研究を行っていて、そのおかげでオリジナリティの高い研究ができます。その強みを生かし、継続してきた脂質研究を高圧力学会で認めていただいたことは、特に嬉しかったです」と振り返ります。

松木 均(まつき ひとし)のプロフィール

松木均
生物資源産業学部 教授

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