疾患治療学分野の濱田先生のご厚意で、先生の教室(2階)の一部に、当教室のフリーザー(大きな冷凍庫)を置かせて頂いている。栄養学科は改修後、オープンスペース(教室ごとに部屋を固定ではなく、色々な部屋を使用することができる)としたが、結果としては各教室が実験室を固定して使用している。そのため自分の狭い教室スペースではどうにも置くところがなくなってしまった。ある日、フリーザーの整理をしている最中、ふと窓に目をやると昔見かけた風景が飛び込んできた。この(フリーザーのある)場所は、昔(実践栄養学教室の)お茶飲み場だったか(改修工事以前は、各教室にテーブル、椅子、ガスコンロ等が備えられている部屋があった。何故かどの教室も教授室のとなりにあった)。改修以前は、実践栄養学教室は2階の西側に構えていた(今は5階にいるが)。2階のスペースをみながら、ここが教授室、ここは教室員室、ここは一研(第一研究室)・・・。ふと昔の栄養学科を思い出し、非常階段で閉め出された話、早朝、廊下にあったソファーに学生が寝ている姿に遭遇した話等を、大学院生のKさんにしてあげた(聞いてもらった)。さらに、蛋白質出納に関わる被研者実験の話。食事摂取基準というものが存在している。人間がどのくらいのエネルギーや栄養素を摂取する必要があるかの基準(だから食事摂取基準だろう)。体重キロ当たりどのくらいの蛋白質が必要かを知るためには、出納を調べなくてはならない。摂取する蛋白質量を変化させ、丁度摂取する量と排出する量が同じ、すなわち出納が0になる点を見つけ出す。それから蛋白質の利用効率、個人間変動などを考慮し値を設定していく。この実験のための食材は精製品を用いる。グラニュー糖、スターチ、アミノ酸混合、食物油、ビタミン剤、塩混(必要なミネラルを混合したもの)、卵焼き(これが唯一の普通の食べ物)を用い、長年蓄積された調理レシピで食事が被験者に提供されていた。「ネズミの餌ですね。」と言われたが、確かによく考えると材料は一緒だ。

医科栄養学科棟のとなりに、藤井節朗記念医科学センターが3年前に設立された。藤井節朗先生は、昭和37年に徳島大学酵素生理学部門教授に着任され、昭和51年に大阪大学蛋白質研究所機能制御部門教授に移られるまで徳島大学に在籍と記録されている。タンパク質分解阻害剤や高脂血症剤の発見・開発で数多くの業績を残された先生である。数々の業績に対する特許料ライセンスの一部が徳島大学に寄付され、藤井節朗記念医科学センターが建設された。また聞きであるが、医療教育開発センターの赤池先生が、「前病院長の安井先生からは、「研究は厳しかったが、教室はいつも人が出入りしており活気にあふれていた。」とお聞きしております。」との発言を聞いたことを思い出した。たぶん人を引きつける魅力が教室にあるのだろう。なぜかこの言葉が新鮮に、そして意味深く感じられた。

ある日、HさんとKさんから箱に入ったものを渡された。開けてくださいと言われたが、朝は忙しいので冷蔵庫にしまった。夕方、再び部屋に来て、開けてくださいと言ってきた。ポテトサラダを使いケーキに見立てたとのことだった。「みんなで食べるか」。「(教室に)誰かいるか見てきます」。結局、4人の学生さんが私の部屋に集まり試食会になり、最後の方では、となりのラボのA君まで「先生、愛されていますね。」と言い入ってきた。結局、自分たちで作ったものを自分たちで食べたことだけか。教室に色々な人が(気兼ねなく)出入りできるようにしたい。でも、部屋がたまり場になってはいけない。

<平成29年3月2日:酒井>

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