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【個性派研究室セレクション】 VOL.2 地域デザインコース 空間情報科学研究室 夏目宗幸 准教授 後編 ~伊能忠敬測量図~

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大学院社会産業理工学研究部 社会総合科学域 地域科学分野
准教授 夏目  宗幸(なつめ むねゆき)

徳島大学の個性あふれる研究室を厳選して紹介する「個性派研究室セレクション」。大学進学を考える中高生をはじめ、学内外の方にも、研究内容や学びの魅力を知っていただくため、できるだけわかりやすく発信しています。
第2回は「とくtalk」No.202(2026冬号)の特集にあわせて、総合科学部の地域デザインコースにフォーカス。「空間情報科学研究室」の夏目宗幸(なつめむねゆき)先生にお話を伺いました。(取材/2025年12月)


徳島大学にとって2025年のビッグニュースのひとつが、徳島大学附属図書館が所蔵する「伊能図」3種10点および地図箱2点が、「伊能忠敬測量図(いのうただたかそくりょうず)」の名称で国の重要文化財に指定されたことでしょう。
「伊能図」は、江戸時代に伊能忠敬が日本全国を実測し作成した日本地図の総称で、近代的測量にもとづく日本地図の先駆けとして高い評価を受けています。
徳島大学附属図書館所蔵の「伊能図」は、文化元年(1804年)8月に幕府へ上呈された「日本東半部沿海地図」と同系統にあたる中図「沿海地図」3点(縮尺1/216,000)、文化4年から8年にかけて実施された第5~7次測量の成果による中図「大日本沿海図稿」4点、さらに第7次測量にもとづく大図「豊前国沿海地図」3点(縮尺1/36,000)の計10点から構成されています。
徳島大学として初となる重要文化財指定は大変喜ばしいことなのですが、なぜ「伊能図」が徳大にあるのでしょうか?そのルーツについて、夏目先生にお話を伺いました。

蜂須賀家と伊能忠敬の邂逅

附属図書館が所蔵する「伊能図」のルーツは、江戸時代の徳島藩主・蜂須賀家にあります。
測量事業は当初、伊能忠敬個人の取組として始まりましたが、のちに幕府事業として継続され、伊能忠敬の没後である文政4年(1821年)に「大日本沿海輿地全図」として完成しました。
伊能忠敬が全国測量の旅に出た際、幕府の威光を背負っているとはいえ、各地での滞在や測量活動には地元藩の協力が不可欠でした。当時、阿波国を治めていたのは、第11代藩主・蜂須賀治昭(はちすか はるあき)です。この治昭公、大名としては珍しく天文学や科学技術に深い造詣を持ち、地図編纂にも強い関心を寄せていた殿様でした。
伊能忠敬が測量のために徳島を訪れた際、治昭公はその活動を支持し、国を挙げて歓迎しました。学問的な共鳴があったのか、伊能忠敬と蜂須賀家は懇意にしていたと考えられています。
その証として、伊能忠敬から蜂須賀家に贈られたのが、現在徳島大学に伝わる「伊能図」です。幕府に献上された「正本」作成の過程で作られ、贈答用の特別な装丁が施されており、極めて完成度の高い「伊能図」です。
この地図は、蜂須賀家で代々大切に保管されてきましたが、戦後、蜂須賀家から徳島大学の前身校へ寄贈され、一部は大学が購入して保管してきました。

2度にわたる「正本」の焼失 

伊能図研究において、附属図書館が所蔵するこの地図が持つ意味は、極めて重大です。なぜなら、伊能忠敬が幕府に献上した最終完成版(正本)は、この世に存在しないからです。
幕府に献上された正本は、明治初期の皇居(旧江戸城)火災によって焼失しました。その後、伊能家に残されていた控えが明治政府へ再献上されましたが、1923年の関東大震災で灰燼に帰してしまいました。そうした中、附属図書館が所蔵する伊能図は、次のような理由で伊能図研究において重要な役割を果たしています。

【保存状態の良さ】 蜂須賀家に献上された後、大切に保管され、現在も献上された時の地図箱や、作製当初の折畳装状態を保っています。
【研究アクセスの良さ】 他の博物館や大名家所蔵のものは、保存の観点から閲覧制限が厳しく、詳細な科学調査(光を透過させての撮影など)が困難な場合があります。一方、徳島大学では自学の資産として、デジタル化を含めた積極的な研究利用が進められてきました。
【針穴の鮮明さ】 地図作成のための針穴が良好な状態で残っており、伊能忠敬の測量技術を解析する上で貴重な資料となっています。

伊能図のデジタル化に尽力された平井松午先生の功績

徳島大学に寄贈された伊能図は、1950年代から数十年もの間書庫で保管されていました。この伊能図が本格的な研究対象となったのは、1990年代後半です。
徳島大学の名誉教授 平井松午(ひらいしょうご)先生は、附属図書館に所蔵されている古地図・絵図について研究を進めてこられました。伊能図は和紙に描かれた折りたたみ式の地図です。研究のために何度も開閉を繰り返せば、折り目から紙が劣化し、貴重な文化財が崩壊してしまう危険性がありました。
そこで平井先生は、地図のデジタルアーカイブ化に着手。高精細デジタルカメラを用い、地図の細部まで詳細に撮影・データ化しました。このデジタル化を起点として、徳島大学における伊能図研究は飛躍的に進展しました。文部科学省の科学研究費助成事業による大型プロジェクトが動き出し、平井先生、そして塚本章宏(つかもとあきひろ)先生(現:佛教大学 歴史学部 教授)、さらに現在の夏目先生へと、20年以上にわたり研究のバトンが受け継がれていきます。

伊能忠敬の作図メソッド 「針穴」が伝える高度な測量法

徳島大学における伊能図研究の白眉は、地図上に無数に開けられた「針穴(はりあな)」の解明です。

 

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デジタルデータを拡大すると海岸線沿いに、微細な点を見ることができます。地図の下から光を当てるとよく分かるのですが、この点は地図を作る際に開けられた針穴です。
伊能忠敬は現地で測量を行う際、測量地点に杭を立てて距離と方位を計測しました。その膨大なデータをまとめた「野帳(やちょう)」をもとに、まずは下書き図を作成。そして、それを縮小して一枚の大きな地図にまとめる際、正確な位置を写し取るために針を刺してポイントを落とし、その後、その針穴を筆で結んで海岸線や道を描きます。
針穴は伊能図を作る際、正確な位置合わせと製図の補助のために開けられました。測量時の記録を正確に示すための印でもあり、地図の精度と実用性を高めるための工夫です。複製時にズレを防ぐための効果もありました。

 

学生たちが数万の「針穴」を記録

徳島大学では、この針穴の解析にGIS(地理情報システム)を活用しており、学生たちと共同して、GIS上で針穴を一つ一つクリックし、デジタルデータとして座標を記録する作業を行いました。針穴の数は一枚の図郭で数万にのぼることもあるのだとか。話を聞くだけでも気が遠くなりますが、これにより測量の実態が次々と明らかになりました。
夏目先生は次のように話します。
「例えば、針穴の密度の違い。東日本を測量していた初期の頃、伊能忠敬は私財を投じて活動しており、いわば“半ば趣味”の状態でした。そのため、針穴の間隔(測量地点の間隔)は比較的広くなっています。しかし、西日本へ進む頃には幕府の正式な事業として認められ、資金も潤沢になりました。結果として、関西や四国の地図では針穴の間隔が極めて短く、より高精度で詳細な測量が行われていたことが、塚本章宏先生の研究成果で明らかになっています。」

現代の地図と比較することで実感 測量隊の情熱

針穴のデータを現代の地図と重ね合わせることで、伊能測量隊が持っていた高度な技術力と、地図作成に注いだ並々ならぬ情熱をあらためて感じることができます。
淡路島の南にある小島・沼島(ぬしま)を見てみると、人が歩いて行くことができない断崖絶壁のような場所も、伊能図には驚くほど詳細に針穴が打たれています。
歩くことすら困難な岩場や、人が近づけない海岸線など、陸路で測量できない区間については、地元漁師に協力を依頼して船を出し、海上から計測したことが、当時の記録との照合によって明らかになっています。
徳島大学附属図書館では、所蔵している伊能図をGIS(地理情報システム)と連携させ、「伊能図学習システム」として公開しています。肉眼では確認が難しい針穴を鮮明に見ることができるよう、原図を800dpiの高解像度で撮影した画像を公開しており、さらに図の背後から光を当てて針穴を浮かび上がらせた透過光画像も見ることができます。
伊能図の画像と針穴の透過光画像と並べて比較したり、現代の地図や空撮画像を重ね合わせたりすることも可能で、見比べて見ることで一層、200年前に作成された伊能図の精巧さが分かります。
これを機に伊能図に興味を持っていただければ幸いです。ぜひ「徳島大学附属図書館伊能図学習システム」にアクセスし、その精巧さと魅力を体感ください。

徳島大学附属図書館伊能図学習システム
https://www.lib.tokushima-u.ac.jp/~archive/inohzu/

 

 

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