Sさんが、朝から私の部屋の周りをウロウロしている。何か用事があるのかと気にはなるが、今年になって2回目のウエスタンの実験をしているので、声をかける余裕がない。午後、部屋にいるとSさんが、「ホットケーキ(この部屋で)作ってもいいですか?」と尋ねてきた。まだ時間が早いので、「おやつの3時くらいの方がいいのでは」と答える。

改修前の栄養学科棟には、各教室に一部屋、教授室に隣接してお茶のみ場と呼ばれる部屋が存在していた。その場所で、みんなでテレビを見ながら昼ご飯を食べたり、冬の寒い時期の夜は鍋をつついたり、学会発表の練習の場として使用したり、いわゆる憩いの場あり、使い勝手が良い部屋であった(私の学生時代、○教授は、野球の日本シリーズを、このお茶飲み部屋で日中に(一部の大学院生と共に)観戦していた)。夜になれば、実験の待ち時間の者が集まりビールを飲みながら実験をしていた時代を、今の若い人に説明してもとても信じてもらえないだろう。

お茶飲み部屋が消えた栄養学科棟では(デスクが密集した大部屋では)、他人に気を使い自由に食事もできないし、会話もできない窮屈な空間になっている感じがする。それを変えるのがお前の仕事だろうと突っ込まれるかもしれないが、すでに(偏ったオープンスペースという)全体の仕組みが出来上がってしまっているのでなかなか難しい。

少なくとも私の部屋を使用し、(簡単な)料理をすれば他人に対する迷惑は、共通の(みすぼらしい)キッチンで行うよりは少なくなるであろう。という理由で(必要最低限)部屋を使うことを許可している。はたから見るとあまりに幼稚なことにしか見えないのかもしれない。少しでも(知らない)昔の時代を味合わせたい。という思いがある人が存在していたことを卒業後10年、20年後に知ってもらいたい。

“大学教員が研究に使えるのは働いた時間の3割強で、16年前より10ポイント以上減っていることが、文部科学省が6月26日に公表した調査でわかった”(朝日新聞 行政・政治 2019年6月27日(木)配信)。やはり、みな研究以外の仕事が増え忙しくなっているのは(余裕もなくなっているのは)間違いないことだろう。

<令和1年7月11日:酒井>

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