最先端研究探訪 (とくtalk130号 平成20年1月号より)

2008年7月16日

総合科学部 人間社会学科
矢野 剛 やの ごう

 

巨大中国経済の未来を考える

発展を続ける中国

近年、中国やインドといった、どちらかといえば経済的に遅れていた国々がめざましい発展をしています。特に中国は日本の高度経済成長時代のような経緯を猛スピードでたどっています。とはいえ国土も人口も日本とは比べものにならないほど巨大な国です。環境問題や輸出商品の有害物含有の問題など、様々な問題も大きな流れの中に飲み込み、試行錯誤しながら、経済的にも世界に大きな影響力を持つ存在となってきました。

経済学にもいろいろな研究分野がありますが、矢野先生は大学時代に統計を使った経済分析(応用計量経済学)を学び、また中国をはじめとするアジア諸国・地域が好きであったこともあり、発展途上国の経済学の専門家として、開発経済学の立場から中国経済の研究に取り組んでいます。

研究自体は主として統計解析によっておこなうため、必要な統計データさえ得られれば日本の研究室でできますが、実態の調査のために、2001年から年に2~3回中国に行き、経済発展が著しくなおかつ混沌としている江蘇省・上海市を中心に、現地の企業などを取材しています。

特にここ5年ぐらいは中国の企業金融に着目し、企業がどこから資金を調達しているのか、どういうシステムで金融が成り立っているのか、どういう機関や経路が資金を融通するのか、そしてその効率は、ということを調査しています。

 

 

発展のカギは企業間信用

ここでキーワードとなるのが「企業間の信頼(interfirm trust)」です。経済発展のある段階まで、すなわち経済が急成長して企業の資金需要は伸び続けているのに銀行その他の正規の金融システムが何らかの理由で適切なかたちで資金を提供できない発展途上経済に典型的な情況では、企業の取引金額が大きくなればなるほど、手形や掛け売り掛け買いといった、いわゆる信用取引が経済の発展に大きな影響を与えます。これらの手形取引や掛け売り掛け買いにおいては、売り手から買い手へという商品の流れとは反対方向に買い手から売り手への事実上の資金融資(お金の貸し借り)がなされており、この融資のことを企業間信用と呼びます。そして、この企業間信用が発展するためには、取引相手が契約を履行する―例えば納期・品質を守る、そして何より借りたお金をちゃんと返済する―ということが信じられる企業間の信頼が形成されていることが必要です。経済が成熟したところではこの企業間の信頼というものも確立されているわけですが、経済の発展途上にあるところでは、企業間の信頼の確立が不十分で、この企業間信用に契約の不履行というリスクが付随しやすくなる傾向があり、企業間信用の発達が必要なのにリスクも大きいというジレンマを発展途上経済は抱えてしまうわけです。そしてこのジレンマを、企業間の信頼の形成を通じてうまく解決することが経済発展を持続させるための一つの鍵なのです。
「中国における企業間信用というものを網羅的に研究しているプロジェクトがないようなので、それでは私がと思って取り組んでいます。企業間信用の発達がうまくいくとどんどん新しい企業が出てきて経済が活発になります。そうなると情報も伝わりやすくなり、ますます良い方向に向かうわけです。中国の銀行は非効率的な面がありますが、ここ20年ほど続いている高度成長は本物であると見ています。それはなぜか。そのポイントが企業間信用なのです」

この中国の貧弱な金融システムと目を見張る高度成長の現状に矛盾を指摘する学者がいるのも事実で、企業間信用研究はこの矛盾すなわち謎を解き明かす試みであるともいえます。
「この研究は二つの研究の交差点にあるといってもいいでしょう。一つは銀行や株式市場がなかなかうまく機能してくれない途上経済における金融の問題を考える開発金融と、今一つは先ほどから出てきている企業間の信頼の形成を通じて、そもそも市場はいかなる条件の下で発生するのかという市場経済の根本に関わる研究です。」

 


矢野剛氏

 

信用は市場競争の中での企業努力から

取引の一番安全な形態はバザールやのみの市といった、いわゆる対面現金取引です。しかしこの形態が発展途上国によく見られるのは、そこに目に見えない企業間の信頼のようなものが存在しない、つまりそれ以上に経済を発展させていく要素がないからです。例えばスーパーマーケットのように消費者とは現金取引でも、その後ろには商品を商社やメーカーから手形や掛け買いをするといった信用取引が存在しています。

では企業間の信頼の形成を通じた企業間信用の発達はどうしたら生まれるのでしょうか、どうしたらうまくいくのでしょうか。
「中国も今はうまくいっていますが、10年以上前には、下請けにつけを回したり、力の強い企業が弱い企業につけを回すといった社会現象、いわゆる三角債が社会問題になりマスコミにも取り上げられました。もちろん、そこには企業間の信頼関係などありません。しかしそれも取材を通じて得られた様々な資料や私の分析結果を見ると、1990年代半ばからだんだんなくなってきています。私の取材でも、中国の企業は、買い手側の立場からは情報開示など売り手側の信頼を得るための努力を、売り手側の立場からは買い手企業の信用調査を熱心にやっているのがわかります。その陰には企業間の激しい競争があり、買い手の立場で資金を調達するには売り手側の信頼を獲得したり、売り手としては掛け売りでもいいから売り込んでいくことが大切になっているという現実があります。また、企業間信用が発達すれば、将来性のある企業やプロジェクトに資金が集まるようになる傾向があることを私の研究はある程度明らかにしています。言い換えると、少々リスクのある企業なんだけれども、その事業には見込みがあるというケースに企業間信用はきちんと融資をおこなうことができているということです。これは銀行ではなかなかうまくいかないんです。銀行や債券市場に依存しているだけの金融システムではできない。きちんと機能している企業間信用があるからこそ可能なのです」

 

経済発展のために

 

中国での取材には苦労もあります。
「お金など経営の根幹に関する取材ですから、たいてい警戒されます。中国では国有(国営)から民営になる企業が増えていますが、最初から民営という企業も多くなっています。それで経営者のサクセスストーリーを話してもらうなど、いろいろと工夫しています。取材中でも食事の時には必ずお酒が出るのはよわりますが」

中国経済の発展の影には、企業同士の信頼を築き上げていくための努力とそれをサポートする環境や制度があるといえます。
「今後は江蘇省・上海市をはじめとする経済的に豊かな沿海部から、経済発展における後進地域である西安など内陸の方面にも調査範囲を拡げて、地域差の調査もしてみたいと思っています。そこから経済の歴史が見えてくるかもしれません。そしてこの研究を他の発展途上国の経済発展に役立てていけたらと考えています」

 

[取材] 130号(平成20年1月号より)