最先端研究探訪 (とくtalk120号 平成17年7月号より)

2008年7月16日

[取材] 120号(平成17年7月号より)

大学院ヘルスバイオサイエンス研究部分子生物薬学分野
山内 卓 やまうち たかし

 

脳の中で何が起こっているのか!

 

脳の秘密は宇宙大

脳は人の体や心をつかさどる、例えばコンピュータのCPUにあたるものです。脳にしてもコンピュータにしても、さまざまな働きのもとになるのはデータやソフトの「記憶」であるといえるでしょう。しかし機械と違い、当然脳にはメモリもなければハードディスクもありません。しかしどこにどのように記憶を蓄えるのか、コンピュータよりはるかに大きな記憶容量を有しています。インターネットで調べてみますと、脳の記憶容量は約10テラバイト、あるいは新聞200万年分に相当する、というような表現がありました。

ではそのような膨大な情報を、脳はどこにどうやって記憶しているのでしょうか。メモリやハードディスクにあたるものがあるのでしょうか。そしてどのように予測や認識をしたり、経験したことを学習し、行動に活かしているのでしょうか。

体重のわずか2%という小さな脳ですが、宇宙と同じぐらい未知の世界な

 

脳は使うほどに進化する

その脳の基本的なはたらきを分子レベルで研究しているのが山内先生です。

右図を見てください。赤ちゃんの脳の神経細胞を、生後まもなくと2年後で比較したものです。黒いかたまりが神経細胞で、体が大きくなっても細胞の数は増えません。2年も経つと細胞は突起を伸ばし、細胞と細胞は網の目のように結ばれます。脳の細胞と細胞がコミュニケーションして、そのネットワークがどんどん広がっていると言えばわかりやすいでしょうか。

わずかの期間にもいろいろなものを見聞きして学習し、神経のネットワーク網を増やしながら密にしているのがわかります。神経は広がるだけでなく太くなっていきます。流れる情報量も増え、学習したことを記憶することができるのです。

人の脳は学習や経験によってどんどん成長していくわけです。幼児期の教育が大切であるのは、その成長が著しく速いからです。また、神経ネットワークは学習によって作られるので、一人一人出来かたが異なり、これが人格を形成するもとになるものです。

逆に、年老いていくにしたがって神経も老化して、細胞数が減りネットワークも欠落していきます。年をとるとよくもの忘れするようになるのはこのためです。

 

記憶をつかさどる海馬

脳は身体の全てをコントロールしていますが、脳の場所によってコントロールする身体の場所が異なることは、実は18世紀から知られていました。

ところが脳の中で神経細胞の複雑なネットワークがどのようにつながって情報のやりとりをしているのか、あるいはどうして欠落していくのか、ということはいまだに詳しいことがわかっていません。

脳に「海馬」と呼ばれる部分があります。どうやら記憶にかかわる重要な部分らしい、ということがわかってきたのは50年ほど前です。記憶にはしばらくすると忘れる短期記憶と、ずっと覚えている長期記憶があります。

カナダでてんかんの患者が、治療のために海馬を切除しました。彼は手術前のこと(長期記憶)はよく覚えているのに、手術後のこと(短期記憶)は覚えられなくなってしまったのです。このことにより海馬は、新しい記憶をつくるのに必要な場所で、短期記憶を長期記憶として保存していく働きがあるのではないかと予測されました。

30年ほど前には、海馬の神経細胞の接続部(シナプス)には長期増強という他では見られない刺激反応があることがわかりました。海馬の神経細胞は刺激すればするほど反応が大きくなり、長く持続するのです。これが記憶の基礎過程と考えられ、この現象を調べることにより記憶のメカニズムが実験的に解析できるようになりました。

 

山内卓

脳の研究はついに分子レベルに

山内先生は25年ほど前に、脳に多くあり、中でも海馬に特に多い「カムキナーゼII(カルシウム依存性タンパク質リン酸化酵素)」を発見し、この酵素の働きを中心に研究を続けています。

カムキナーゼIIは多くの種類のタンパク質と結びつきやすく、それらをリン酸化することでタンパク質の性質を変えるという特徴を持っています。タンパク質リン酸化は細胞が刺戟に反応して、その細胞の働きを調節するための重要な方法です。

カムキナーゼIIは海馬において、記憶や学習の過程、つまりシナプスの形成、シナプス伝達や機能調節などにおいて重要な役割を果たしています。

遺伝子操作したマウスの実験からカムキナーゼIIが記憶・学習に直接関わる「記憶分子」であることが発見され、脳の仕組みがついに分子レベルの研究に到達しました。

カムキナーゼIIとそれと作用する分子の働きを解析することにより記憶・学習のような複雑な脳の働きが分子の連続した反応として説明できると考えられたのです。最近では多くの研究者により、脳の様々な分子の働きが調べられ、脳の研究が大きく前進しました。

また、心や精神活動も脳の分子の働きで説明することができると考えられるようになりました。さらに、これらの分子の働きが、低下したり亢進し過ぎると様々な病気が引き起こされると考えられるようになりました。それでもまだまだ奥が深いのが人の身体です。

このような脳の基礎研究が医学研究と連係し、共に発展することにより、人々は病気を克服し、心豊かに生活することができるようになることが期待されます。

ところで、医学の進歩はどこまで人の寿命をのばすのでしょうか。山内先生は、「寿命をのばすということよりも、死ぬまで心身ともに健康に生きるということの方が大事なのではないでしょうか」と言います。長寿時代をむかえると介護問題もクローズアップされますが、なるべくなら人の世話にはならず、自らの力で老後を健康で楽しく過ごしたいものです。