最先端研究探訪 (とくtalk135号 平成21年4月号より)

2009年5月29日

大学院ヘルスバイオサイエンス研究部 精密薬品製造学分野
落合 正仁 おちあい まさひと

 

有機化学反応の未踏領域に挑戦

 

日本の資源ヨウ素の有効利用と開発

私たちの身の回りのほとんどの物がいわゆる化学合成物質です。合成物質とは複数の分子が化学反応によって、他の新しい物質に生まれ変わってできる物で、例えばもっとも身近なプラスチック(合成樹脂)や病気のたびにお世話になる医薬品などは、まさに化学合成の産物です。そこで化学者たちは日々、新しい化合物の開発に取り組んでいるわけですが、その根幹にあるのが化学反応の研究です。化学反応と言っても、何と何を反応させればどんな物ができるかといった研究と、化学反応そのものの効率を良くしていく研究があります。

落合先生の研究は、専門的に言いますと『超原子価ハロゲン族化合物の合成とその特性を活用する有機合成反応の開発研究』。つまり医薬品などの化合物を効率良く製造していくために、化学反応を速めるハロゲン族の分子化合物を作り出し開発研究しているということです。

ハロゲン族元素とはフッ素・塩素・臭素・ヨウ素で、落合先生はその中のヨウ素の有効利用法に取り組んで30年になります。ヨウ素に着目したのは先生が米国から帰ってまもなくで、まだヨウ素の研究をしている化学者が少ないことと、チリと日本(千葉県)、そして米国が世界の三大資源国だということからです。ヨウ素は天然ガスと共に採取される化石海水に多く含まれています。しかしながら日本ではそのほとんどが原材料のまま輸出され、ヨウ素を含んだ高価な製品を輸入しているのです。したがってヨウ素の有効利用は我が国にとって重要なことなのです。

未踏化学領域”三価の超原子価臭素化合物の化学”への挑戦

 

教科書を書き換える発見

1985年、落合先生は超脱離基と名付けた毒性の低い『3価の超原子価有機ヨウ素化合物』を使った化学反応の実験により、それまで化学の教科書に載っていた定説を覆す発見をしました。しかし定説を破るというのは、最初は常識に対する非常識のようなもので、先生自身がこの結果を受け入れるのに5年かかり、結局教科書の内容を書き直すには15年もの年月を費やしてしまったほどでした。

その定説とは『オレフィンのSN2反応は立体的要因により不可能』というものです。かなり乱暴にわかりやすく言えば、化学反応とは、ある分子と分子が混じり合うことにより分子の一部が置換したり脱離することで、分子構造の違う別のものとなることですが、二重結合を持った分子(オレフィン)では立体的な理由により、SN2反応(専門用語は二分子求核置換反応・きゅうかくちかんはんのう)は起こらない、というのが40年以上信じられてきたことだったのです。ところが3価の超原子価ヨウ素は、オレフィンのSN2反応を可能にしたばかりか、脱離基として一般に使われるトリフラートという置換基の百万倍の脱離能力(化学反応のスピード)を持っていたのです。

さらに爆発しやすいオゾンに代わり、安全で環境に優しい酸化的切断反応の開発や、超原子価ヨウ素を用いた酸化反応の触媒化に世界で初めて成功するなど、次々と新しい開発をしてきました。

 

化学者の夢を追って

さて超原子価ハロゲン族化合物は他のものもこうした能力を持っていると考えられていますが、化合物そのものを作り出すのが難しく、次に先生が取り組んでいるのが臭素です。臭素はどこにでも無尽蔵にある天然資源で、ヨウ素より遙かに高い化学反応を示すことがわかっています。しかし臭素はヨウ素と違って毒性が強く、取り扱いの勉強にドイツまで学生と一緒に出かけて、やっとスタートできたという苦労もありました。

その結果、これまでは全く未知の化合物であった超原子価臭素化合物の合成にも世界で初めて成功するなど、新しい研究領域をさらに拡げつつあります。

おおよそ学者と呼ばれる人たちには大きな夢、というか目標があります。それは『新しい発見』です。過去の学者の学説を上回るような発見や、誤りを訂正するような発見、あるいは今までにない全く新しい発見。その夢とロマンを胸に秘め、日々研究を続けているのではないでしょうか。

「化学物質というと公害や汚染の元のような悪いイメージがあるのは残念ですが、有機化学では『幸運に恵まれた偶然の発見』を大切にします。有機化学はこの世にないものを作り出すことができます。化学反応はその有機化学の基盤です。新しい薬の開発だけでなく様々なものに応用できるよう貢献していきたいです」

世界におけるヨウ素・臭素研究の第一人者として活躍する化学者の目に、芸術家のような想像と創造力の光が見えたような気がしました。

 

落合 正仁氏のプロフィール

  • 1948年 三重県生まれ
  • 1970年 名古屋市立大学薬学部卒業
  • 1975年 京都大学大学院薬学研究科博士課程退学
  • 1975年 京都大学化学研究所文部技官
  • 1977-79年 米国ウイスコンシン州立大学博士研究員
  • 1984年 京都大学化学研究所助手(抗癌医薬開発研究部門)
  • 1987年 日本薬学会 奨励賞受賞
  • 1989年 岐阜薬科大学助教授(合成薬品製造化学教室)
  • 1992年 徳島大学薬学部教授(薬品製造化学教室)
  • 2004年 大学院ヘルスバイオサイエンス研究部教授(改組)
  • 2002年 ヨウ素学会 学会賞受賞
  • 2003年 日本薬学会 学会賞受賞

[取材] 135号(平成21年4月号より)